親だって間違うこともある



子どもは親の言うことを絶対だと思ってしまう。

というか、思わざるを得ない。

親に育ててもらわないと生きていけないから。



親の言うことに納得することが「生きる術」だから。




「もっと褒めて欲しかった」

「出来なくてもいいって言って欲しかった」

「人と違うことを認めて欲しかった」

「恥ずかしいからやめてって言わないで欲しかった」

「朝から機嫌の悪いあなたを見たくはなかった」

「もっと一緒に居たかった」

「あの子はいい子ねって比べないで欲しかった」




子どもだって親に対して思うことはたくさんある。



でも、多くの場合飲み込んでしまう。

それが「生きる術」だから。




子どもにとって親に従順でいることが「生きる術」なのにも関わらず、

親も間違うことがある。



親もまた不完全な一人の人間だから。



初めての子育て、親自身の満たされていないこころ、変わっていく時代、わからない愛の形。

自分も欠けているのに与えるのは難しい。



でも、「完全な人」なんて居ない。



「完全な人」なんて居ないのに、

子どもの立場では、親も不完全な人の一人だとわかるまでに時間がかかる。



自分がずっと信じてきた親だし、従わざるを得なかったこともある。

だから本当は親も不完全である、ということが許せなかったりもする。



ずっと信じてきたのに。

言うこと聞いてきたのに。

それが自分にとっての正解じゃないかもしれないと気付くのは、結構しんどいことだよね。




でも、それを「許すことが必要だ」と気付くことが出来たあなたはすごい。

「許す」ことから始まるんだね。

ちゃんと暴れたから許せるのかな。



親ではなく、一人の人として見ることから。



親にまだ期待している自分に気付きながらも、

まだ子どもとして見て欲しい自分に気付きながらも、

それでも、親を一人の人として見てみる視点。



その視点を持てた瞬間、親と子ではなく、

初めて大人と大人の会話が出来る。

初めて自分のずっと閉まってた想いを、

ずっと言いたかったことを、

一人の大人として伝えることが出来るようになる。



それが、親離れってことなのかもしれない。

依存から、自立へ。



簡単なことじゃない、ものすごく時間もかかる、その過程は苦しいこともある。



それでも、あの頃のハグして欲しかった自分を、

今のあなた自身がハグしてあげられたら、

少しずつ、着実に、自分の思う道を拓いていけるんだね。



あなたの自分に向き合う姿に、勇気をもらいました。

誰でも、進めるって。



monaLABO(こころの研究所)

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