一番大事な友達は会っても会わなくてもいい
私にはすごく大切な友達が居ます。
その子との出会いは高校1年生の時。偶然同じクラスだったのです。
中学3年間バレー部だった私は、高校でも続けることにしました。
その子は中学では部活をしていなかったけど、本当はバレーをやりたかったから高校から始めたいと、バレー部に入りました。
私とその子はクラスとバレー部で交流することになりました。
でも高校入学したてだし、お互いまだ手探りだし、すごく仲良い!って感じになるにはまだ程遠かったある日、
私は不登校になりました。
理由は今でもハッキリしない。何でだったのか、とにかく行きたくなかった。
とりあえず学校に向かっても入るのは教室ではなく、保健室。保健室の先生はいつも優しかったなぁ。
何で不登校になっているかも自分で分からない私は、「とにかく行きたくない」この気持ちだけで、家族に何を聞かれても上手く答えられない、何を解決したら良いかも分からない、そんな日々を過ごしていました。
保健室登校を続けていた私に、どうしてか分からないけど毎日会いに来てくれるのは、クラスとバレー部で一緒のその子。
お昼にお弁当を持って保健室へ来て、一緒に食べてくれたりお喋りしたりしてくれるのです。
不思議でしょうがなかった。
偶然クラスが一緒で、偶然同じ部活に入っただけで、昔からの友達ってわけでもなく、最近出会ったクラスメイト、くらいの仲なのに。
でも何故だかその子と過ごしているうちに、保健室から出て教室に戻れるようになったのです。
これといったキッカケもなく。
何故だか一緒にいてくれたその子のおかげ、としか言いようがないのです。
晴れて不登校を脱した私は本来の明るさを取り戻し、それはそれは高校生活を謳歌しました。
何でも笑いに変えて乗り越えていこう!っていう姿勢を学んだのは高校生の時だったと、今振り返ってそう思います。
3年生の時には、「あんたの笑い声でどこにいるかすぐわかるわ」って友達に言われるほど、毎日大きい声で笑って過ごして居ました。
私を不登校から救ってくれたその友達とは今でも仲良くしています。
だからといって、しょっちゅう会うわけでもなく、頻繁に連絡取っているでもなく。
どこにいても、誰といてもいいから、とにかくその子が幸せだったらいい。
そう思うのです。
これって究極の愛のような気がしていて。
こう思える友達を見つけた私の人生は本当に素敵だな、って自分で思うのです。
可愛くて、美人で、華奢だけど声が低くて、シャイだけど芯がしっかり通っていて、涙もろくて、たまに口が悪くて、人一倍心が温かい、そんなその子が大好きなのです。
マヤ暦を勉強すると、私が高校1年生の時にその子に助けられたことは、準備されていたことだったんだと分かりました。
やっぱり全ては準備されている。
不登校はその子に出会うための出来事だったんだなぁ、と。
離れていてもずっと想い続けられる友達を持てた私の人生、本当にラッキー!
今後もその子が居れば、何でも乗り越えられる気がするのです。これからもよろしくね。