本当に無理なのか、無理だった自分を見たくないだけなのか

最近、旦那さんが猛烈に勉強しています。新しい挑戦をしようと、全く未知の分野の勉強に毎日励んでいます。

勉強スケジュールも過密で、結構大変そうなのですが、反面楽しそうでもあるんですよね。旦那さんは自分の話を聞いてほしいタイプなので、「今こういうことを学んでて、こういう状態で」とたくさん現状を話してくれます。その話しぶりが、なんか楽しそうで。



そしてその話の流れで、旦那さんが「悔しいなぁ…」と言ってたんですよね。やっぱり初めて挑戦する分野だし、なかなか上手くいかないことも多く、悔しさを感じてるみたいです。

私、旦那さんの口から「悔しいなぁ…」という言葉を聞いたのが初めてだと思うんですよね。出会ってから5年くらい経っていますが、多分初めて。「え、悔しいって初めて聞いたかも」って言っちゃいましたw

もう仕事もベテランで、仕事で出来ないことなんてない毎日を過ごしてたからだと思うんですが、ちょっと違う世界に飛び込んでみたら、「悔しい…」とすぐに旦那さんのこころが燃えていましたw



こないだNOSE COMPANYの会議でも話題に上がったのですが、人が成長するタイミングに「落ち込む」とか「悲しい」とか負の感情って付き物なのかもねという話になりました。

落ち込んだから悔しくてもっと頑張りたいと思ったり、悲しかったからもうそんな思いはしたくないと踏ん張ることが出来たり。そういうことってありますよね。負が成長のパワーに変わるタイミング。



私はというと、これまでの人生を振り返ってあまり負の感情を感じないように生きてきたのかもなぁ、という気がするんです。多分、自分が「出来る」ことに挑戦することが多かった。純粋にやってみたい!という気持ちよりは、「確実に出来るだろう」と思えることに挑戦していた。

もはやそれって“挑戦”って言えないのかw

だからなんか、最近の旦那さんが悔しがる様子を見ていたり、NOSEのメンバーとの会話だったり、「悔しい」について考えるきっかけが多くあって、「最近何に悔しいって思ったかな?」って考えたりしていました。



まず「悔しい」って、「自分にもきっとそれが出来るはずだ」と思えるから感じることができる感情ですよね。昨日のブログにも通じるところがありますが、どこを自分の限界点と定めているか、で「悔しい」という感情の出てくる度合いが変わってくる。

私は自分の限界をかなり低く見積もって生きてきたのかなぁ、という気がしていて。それに気付くきっかけになったのは、他人から見た自分と、自分から見た自分の印象が全然違った時。「こんなふうに見えるよ」と言ってもらった言葉が、そんな風に思ってもらえるなんてすごく嬉しい!と感じるんだけど、自分では全然受け止められないんですよね。「自分、全然そういう人じゃないっすから…」っていうエセ高倉健みたいな気持ちが湧いてきてしまう。

自分を守るために限界点を低く定めていたから、その限界点の位置を上げられると困るんでしょうねw「今まですごく低く見積もって出来ないって自分に言い聞かせてきたのに、もっと出来るよ的なこと言わないで!」みたいな気持ちになってくるw今まで「自分には無理だ」としていたことに、今後「本当にそうなの?」という問いを投げかけなきゃいけなくなるからw



自分で書いていてわかるのですが、タイトルにあるように「その限界を超えるのは本当に無理なのか、無理だった自分を見たくないだけなのか」と聞かれたら、絶対に後者だと言い切れるんですよねw そう、結局「悔しい」と感じる機会を減らして、自分の成長のタイミングを奪っていたのは、自分なのです。

傷付きたくないから、挑戦させないってのは結構自分に失礼なことしてたよなぁと思うのです。そしてそれは結局、自分の幸せには繋がらないよなぁとも。機会を奪うっていうのは、一番良くないですね。



自分にはそういう性質がある、と気付いた私は、「それは本当に無理なのか?」を自分に問いかけながら生きていくことに決めました。最近は難しい本を読むのが楽しいんです。一読、いや二読しても全然理解出来ないんだけど、でもそれをわかるようになりたい!って「悔しい!」を感じる瞬間が楽しい。今までだったら敬遠していた本と自分の出会いの機会を作ろうと思えた自分に、まずは拍手。

自分には、たくさん成長の機会を与えてあげたいですね。それは自分への愛情だと思います。そして、それを自分に対して出来る人こそ、人に対して与えられる人だと思うので、そこを目指して“本当の挑戦”を続けていきたいと思います。

あなたは最近何に「悔しい!」って感じましたか?



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