無駄を楽しもう


これまでの人生で、すごく損してたなぁと思うことがあって。

それは、

無駄を省いていたこと。



人生において何かを選択する時の基準が、「役に立つか」「お金になるか」のこの2つだけだったと思うのです。

今から5年前「いつか起業してみたいのに、自分のやりたいことがわからない」と悩んでいた私は、自分のやりたいこと探しに奮闘していました。

たくさんの本を読んで、「あれがいいかな?これがいいかな?」って考えてたけど、その時私が探していたことって、自分のやりたいことじゃなくて「最速で上手くいって簡単に稼げる方法」だったんですよね。(その時はやりたいことを探していると思っていましたが…)

だから、簡単にお金に繋がらなそうなことは視野に入ってこなかったし、ものすごい時間がかかりそうなことは論外、何かを学ぶにしても資格が取れるかどうか、そしてその資格の世の中の立ち位置はどうか、みたいなことしか考えていなかったと思います。



「最速!最短!簡単!楽に!」そんなことばかり考えていた私は、どんどん無駄を省く考えになっていました。

例えば“学び”。さっきも言いましたが、学ぶなら資格になって、しかもすぐに世の中で活かせることを学びたいという思考回路だったので、当時の私は「学び=資格」というカッチカチの公式が頭の中で出来上がっていました。

だから、映画をみるとか、漫画を読むとか、小説を読むとか、自然に触れるとか、資格やお金に繋がらなそうなことって人生から省いちゃってたんですよね。

「資格やお金に繋がらない=無駄」と判断してしまっていました。

あとは、“雑談”。仕事において大切にしなきゃいけないことは、「勤務時間という限られた時間でどれだけ仕事をこなせるか」だと思っていたので、“雑談”とかって省いちゃってた時期もありました。

「無駄なことしてないで仕事しなさい」って自分で自分に言い聞かせて、目の前にある仕事をこなすことばかり考えていました。



でも、今の私はこう思うのです。

「無駄には大きな価値がある」と。

まだNOSE COMPANYを立ち上げる前の話。「一緒に会社を立ち上げよう!」と半分ノリで始まったこの会社ですが、メンバーが集まってから本当に会社を設立するまでは一年くらい期間がありました。

その一年間、私たちは“雑談”しまくってたんですよね。これという議題がなくても、とにかく話して話して話していた。産まれたばかりのコボを抱っこしながらSkypeで話して、終わっても夜まで止まらないLINE。育児や用事などでなかなか携帯を見れない時は、LINEの通知が何百件と来ていることもしばしばw

側から見れば「その“雑談”ってなんか意味あるの?会社立ち上げるなら、もっと他にやることあるんじゃない?」って突っ込まれそうなものですが、その時のとにかく話して話して話していた一年間は、私を大きく変えました。



“雑談”には人生にとっての学びがたくさんありました。“雑談”って、何気なく思ったこととか、悩んでいること、課題に感じていること、楽しかったこと、嬉しかったこと…と、結構話し手の本音が詰まってるんですよね。まだ上手く言葉にできなくても、「何となく今こう思うんだよね〜」の一言から、どんどん話が膨らんで、結果的にその本音を通して社会に目が向くんです。そこから社会の課題について考えたり調べたりしていくようになる。

自分たちの“雑談”の中から見えてきた課題なので、自分ごととして取り組めるんですよね。純粋に「どうしてだろう?」「気になる!」という気持ちが湧いてきて、気付いたらたくさんのことを調べていました。

子育て、子どもの教育について、学びとは、コミュニティについて、居場所とは、シェアリングエコノミーについて、仕事、生活、家族、環境、、、“雑談”からたくさんの学びが生まれました。



話す、気になる、調べる、知る、難しい、考える、自分はこう思う、考えるって楽しい、そして知ったことをまた話したい!

これこそが「学び」でした。そしてこの時の「学び」が今のNOSE COMPANYを支えています。この時に自分たちの気になることを調べ続け、それについての考えを話し、それぞれの想いを共有したことによって、頑丈な土台が出来ました。

だから、ちょっとやそっとのことじゃなかなか崩れないんですよね。実際、これまでに今後続けていくのが難しいのかな…って感じる局面ってあったと思うんです。設立したての会社ですから、全てが順風満帆とはいきません。でも、雨風で家が歪んでも、土台がしっかりしていればまた直せるように、「んーと、いろいろあるけど、多分大丈夫だ」って思える土台があるんですよねw



こんな経験から、私は「無駄には大きな価値がある」と思えるようになりました。人生において大事なことって、「無駄」に感じるようなことに詰まっていると気付いたのです。

「学び=資格」だと思っていたけど、純粋に気になるから知りたい!知って考えるのが楽しい!って思えるのが学びだと思い出すことができたし、最短!最速!が良いことだとも思わなくなりました。最短!最速!で結果を出すことを目的にしていたら、一年間も“雑談”しなかったと思うから。



そしてどうして当時の私が“資格にならないこと”や“雑談”を無駄だと感じてしまったのか、と考えたのですが、それはきっと「人生という時間軸の一点しか見ていなかったこと」だと思います。

とにかくこの仕事が上手くいけばいい、今すぐ資格やお金になればいいと、目の前のことしか見ずに、その先の未来のことなんて全く考えていなかったのです。

自分がどういう人生を歩みたいのか、何を学んで何を得たいのか、自分の仕事を通して社会にどういう影響を与えたいのか…

そんな風に一歩下がって、少し視野を広げたことで、こころに余裕が出来、今すぐに役に立つことじゃなくても“無駄”を楽しめるようになってきました。



“無駄”には大きな学びが詰まっています。“無駄”を楽しめる大人ってかっこいいですよね。

“無駄”を大切にすることで、社会に対して素晴らしい仕事をしている人たちがたくさんいるというのも最近わかってきました。むしろ、良い仕事に“無駄”は欠かせないんだなぁと感じます。

私はまだまだ“無駄”を楽しむビギナーですが、これからさらに良い仕事をしていけるように、“無駄”を楽しむこころの余裕を持てるように意識していきたいと思います😎

あなたも“無駄”楽しんでますか?


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