あの時のスタバ
あの時のスタバは、「自分が何をやりたいのか」を考える場所だった。
なぜ自分のやりたいことがわからないのか、わからなかった。やりたいことがわからない私って、何者なんだ?
そんな事を考え続けた。
どうして、やりたい事がたくさんあってどんどん進んでいく人と、やりたい事がわからない…と前に進めない人が居るんだろう。
この違いは何?
答えを求めて本を読みまくった。
2013年頃から「やりたいことやって生きていこう」的な本が増え始めたんじゃないかと思う。(多分、感覚的に)
そして私は2015年くらいから、流行り始めていた「やりたいことやって生きていこう」的な本にハマりまくった。やりたいことがわからなかったからだろう。
本の中の、やりたいことやって生きてる人たちの生活を垣間見るのは楽しかった。でも、何冊読んでも自分のやりたいことは見つからなかった。
そう、それは本の中の人たちがやりたいことだから。
参考にしようとたくさんの例を見ても、「これだ!」とドンピシャに思えるものはなかった。今ならわかる、それは当たり前の話だ。人の数だけやりたいことはある。
やりたいことが全く同じ人なんて、この世に一人も居ない。
これまで経験してきた事、好きなこと、才能がある分野は、人それぞれ違うのだから。
その頃の私は、誰かに「あなたはこれをやりなさい」って言って欲しくて仕方なかった。
いっそ誰かに私のやりたい事を決めて欲しかった。
これだという答えを与えて欲しかった。
自分のことなのに、自分で考えることは放棄してた。
何かから逃げていた。
その何かとは、本当はこころ満たされてない自分だろう。
乾いているのに潤っているフリをして、虚しいのに満たされているフリをして、足りないのに十分あるフリをして、そうやって自分で自分の虚像を作ってた。
その自分の後ろをついて回る虚像が、どれだけ大きくなったか確認するのが怖かった。
だから、自分に向き合うことをせず、自分で考えることもせず、他人に答えを与えてもらおうと必死だった。
長いこと、自分で作った虚像から逃げ続けて生きていた。
でも、ある時から流れが変わった。
私のやりたいことを、一緒に考えてくれる人が現れたのだ。
やりたいことを見つけるために、自分に向き合い、自分で考える必要はあるけど、「一人でやらなきゃいけない」という訳ではないことがわかった。
「そっか、誰かに助けてもらえばいいんだ。」
これに気付いた私は、だんだん自分で作り上げた虚像に向き合う勇気が出てきた。
大丈夫、一人じゃない。
少しずつ少しずつ。
一歩ずつ一歩ずつ。
今まで自分で作り上げた虚像に、そして虚像を作り上げた自分のこころに、あんなに向き合うのが怖かったのに。
一人じゃないとわかるだけで、何故だかどんどん進んでいくことが出来た。
いつでも頼れる人がいるだけで、こんなに人生が進むのが早いんだ。
今までどうして一人で頑張っていたんだろう?と思う程だった。
勇気を出して自分のこころに向き合うと、虚像は小さくなっていった。見たくないものだと思っていたけど、虚像は自分のやりたいことを見つけるためのヒントをたくさんくれた。
見ないようにしてきた自分のこころに向き合うことは、楽なことばかりではなかったけど、それでも「乗り越えればまた一つ強くなれる」そんな気持ちが、こころに向き合う勇気になった。
やりたいことを見つけるために一番必要なのは、勇気を出すことだった。
そして、勇気を出すために一番必要なのは、頼れる人がいるということだった。
私は、あの時の私と同じように「やりたいことがわからない」「なぜやりたいことがわからないんだ」と思っている人たちにとっての、「頼れる人」になりたい。
そんな思いが、このテキストの始まりです。
形になる日まで、もう少し。あと少し。
最後の赤入れしました。
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